ナウマン象の話し ― 2014/07/18
昨日の続きで、ナウマンゾウについて、
気になったことを、展示会のパネルから抜粋。
ナウマンゾウの化石が最初に見つかったのは、
1868年(明治元年)、横須賀で下あごの化石。
この化石について、ドイツ人で東京帝大教授のE.ナウマンが論文を発表した。
これがきっかけで、1924年にナウマンゾウと命名された。
ナウマンゾウは、34万年前、氷河期で海面が下がった状態の 東シナ海または対馬海峡付近と通って、日本にやって来たと考えられている。
温帯の森林性の象である、ナウマンゾウは、氷河と間氷河が繰り返す
日本の気候変化で生き延びるために、日本列島と南や北を移動したようだ。
そして、約2万年前の最後の氷河のピーク時に絶滅したことが分かってきたとのこと。
大量の大腿骨(太ものの骨)と上腕骨(肩と肘の間の骨)から、
オスとメスの違い、子どもから大人、さらに老獸なるまでの違いなどがわかるようだ。
哺乳類である、ナウマンゾウには、臼歯がある。
60年間ほど生き象は、餌を食べ続けられるように、
臼歯が生え替わる仕組みがある(展示会のビデオで、成る程と関心する)。
臼歯は、顎骨の中で作られて、それを斜め後ろから少しづつ前へ押し出す。
写真の①は、第一大臼歯で、板が7枚あり、前方ほど高さが低くなっている。
写真の②は、第二大臼歯で、板が9枚あり、そのうち前の5枚がすり減り始めている。
気になったことを、展示会のパネルから抜粋。
ナウマンゾウの化石が最初に見つかったのは、
1868年(明治元年)、横須賀で下あごの化石。
この化石について、ドイツ人で東京帝大教授のE.ナウマンが論文を発表した。
これがきっかけで、1924年にナウマンゾウと命名された。
ナウマンゾウは、34万年前、氷河期で海面が下がった状態の 東シナ海または対馬海峡付近と通って、日本にやって来たと考えられている。
温帯の森林性の象である、ナウマンゾウは、氷河と間氷河が繰り返す
日本の気候変化で生き延びるために、日本列島と南や北を移動したようだ。
そして、約2万年前の最後の氷河のピーク時に絶滅したことが分かってきたとのこと。
大量の大腿骨(太ものの骨)と上腕骨(肩と肘の間の骨)から、
オスとメスの違い、子どもから大人、さらに老獸なるまでの違いなどがわかるようだ。
哺乳類である、ナウマンゾウには、臼歯がある。
60年間ほど生き象は、餌を食べ続けられるように、
臼歯が生え替わる仕組みがある(展示会のビデオで、成る程と関心する)。
臼歯は、顎骨の中で作られて、それを斜め後ろから少しづつ前へ押し出す。
写真の①は、第一大臼歯で、板が7枚あり、前方ほど高さが低くなっている。
写真の②は、第二大臼歯で、板が9枚あり、そのうち前の5枚がすり減り始めている。
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